介護

尊厳死を考える時期に来ている

尊厳死という言葉を知っている方は多いと思います。

しかし、自分自身の事として捉えていませんか?意識を親、配偶者、兄弟、等に向けてみて下さい。

「尊厳ある死(旅立ち)を後押しできるのは家族しかいない」というのが

私達の目線ではないかと気づいたのです。

今回は、「尊厳ある死」が頭の中に飛び込んできたので

私なりに考えてみました。

畳の上で死にたい

ある日、なんとなく気が向いたので、中高年向けの市民公開講座に、ふら~っと出かけて講座を聞いていました。

 

演者の方が「畳の上で死にたい人?、手を挙げて下さい~」の問いかけに、会場のほぼ全員が手を挙げていました。私も挙げました。

 

ここで、フッと気づいたのです。今、畳の上で死んでいる人いるのかな?と。私の祖母・祖父も病院で死にました。畳の上で旅立った人の話も聞きません。見たこともないです。いるとは思うのですが、私の周りには1人もいません。近所にもいません。風の噂でも聞きません。

 

ああ。殆どの皆様が、病院や施設で旅立っているのだ、と、そこで気づきました。その方々は「畳の上で死にたかった」と思っているのだとしたら、胸が締め付けられる思いです。

 

どうして殆どの皆様が「畳の上で死にたい」と思っているのに、畳の上で旅立つ事が出来ないのか?1人1人が真剣に向き合えば何か答えが出てくるのかもしれません。そこで、私は私の親に対して、畳の上で死にたいのかを問うて見ました。帰ってきた答えは「当然でしょう」という答え。しかし、、、

その、しかし、の後の言葉に

わかっていたつもりだけど、向き合っていなかった事」が浮き彫りになったのです。

母:「迷惑かけたくない

 

自分自身の親が人生最後の旅たちの時に、希望を叶えてあげる事がなんで迷惑なんでしょうか?ただ、出来るのかな?という、出来ない理由捜しをしたのは事実でした。

 

答えはそこにあるのかもしれない。

 

出来ない理由を潰していけば、または出来ない理由を知っていれば、何か解決できるのかもしれません。畳の上で旅立つ事=正確に言われている尊厳死ではないかもしれませんが、気づいた事を気ままに述べていきますので、参考程度に気楽に「ふ~ん」という感じで読んで頂ければと思っております。

尊厳ある死は難しい?

畳の上で旅立つ、尊厳ある死を迎える。なんか難しいそう。そう思うのは当然です。

 

だって周りに同じ事をしている人がいないのですから

 

調べてみると色々問題はある様子です。例えば家族本人が「病院には絶対連れて行くな」と言っていたとしても、実際に家族が体調を崩して病院に連れて行かなければ、何かしら詮索されるという事です。

 

自然に回復すれば問題ないのですが、病状が悪化してしまえば詮索される。そう感じます。ましてや、死んでしまってはとんでもないことになる。そう感じます。他の家族が健康を維持する為の義務を放棄したと捉えられると感じています。

 

そう感じるのは私だけでしょうか?

 

詳しくは知りませんのであくまでイメージです。今の価値観として、何で病院に連れていかないの?信じられない。どんなに本人が病院へ連れていくなと言っていたとしてもです。

 

本人の意思に反して病院に連れて言った場合で、検索してみると、色々な考え方がありました。私がどうこう言う立場ではないと十分認識していますが、治療を拒否する事と畳の上で旅立つこと(尊厳ある死)とは別物だという考えです。※畳の上で旅立つ事=尊厳死ではないです。あくまでイメージとして尊厳ある死という言葉をお借りしています。正確な尊厳死の定義は検索して頂ければと思っております。

 

治療は行なって下さい。私は医者ではありませんが、やはりそれは当然の事だと思います。だだ思うのは治療と延命の境界線をしっかりと認識しておく事はとても大切であると感じています。

 

この治療と延命の境界線が曖昧である為、病院での治療(生活)が終わりにくく、いずれ体力も落ちて行き、徐々に退院は遠のき最後に病院のベッドで旅立ってしまう。そういう流れではないでしょうか?

 

確かに境界線は素人目線では分かりにくいのですが、ちゃんと医者は説明しています。

そういう義務があります。もし聞く側がそういう目線や事前知識を得ないまま、説明を聞くと、大事な事を聞き逃してしまうのかもしれません。

 

仮に、納得いく説明がなかったと感じてもこちらから質問すればよい話なのです。こちらからの質問に真摯に答えない医者はいないと思いますので安心して聞くべきです。

御家族の状態が治療なのかこれから延命になるのか?きちんと聞くべきだと私は思います。

 

大事なのは何がなんでも命を繋ぐ、自分の親は死なせない。そんな価値観で望まないほうがよいのかもしれません。命は有限です。医者は神様ではないのです。

当たり前の話ですが、病院や医者の治療に限界があるのは当然の話なのです。

治療はして下さい。

 

延命はよく考えて、自分の親、配偶者、兄弟等の気持ちになって、立場に立って

深く、深く、深~く、イメージしてあげて下さい。と私は思っております。

 

その答えに従って、延命なのかそうではないのか選択すればよいのではないでしょうか?どちらを選んでも正解です。私はそう思います。大事なのはイメージです。私ならどうしてほしいのか?そのイメージです。

周りの価値観は気にしてはいけません

命は地球より重い。確かにそうです。当然の話だと私は思います。

 

しかし、本来の命の姿とはどういうものなのでしょうか?私は命とは人間、動物、植物もそうかもしれませんが、生きていると感じている事が命だと考えます。自分自身が生きている、呼吸している、食べている、寝ている、考えている、泣いている、怒っている、喜んでいる、行動や感覚そのものを感じている事こそ本来の命だと思います。

 

新しい価値観はいくつかの有名な方が述べていますが、この世は仮想である可能性が高いという事です。量子力学の研究も進んでいます。また、昔から仏教やキリスト教ではうまれかわり等、魂の存在を認めています。科学と宗教の融合が起こっている様子です。宗教の考え方に科学が追いついたと言う人もいます。

 

いろんな考え方があります。愛する人が目の前からいなくなってしまっても、あたなの心に残ります。いくらでも考え方はあると思います。

 

愛する人が旅立つ準備が出来た事を読み取りましょう。そして、その方の最後の希望を叶えてあげるのです。その気持ちを医者に伝えるのです。「畳の上で死なせてあげたい」と。

 

そうすれば解決策は自然と出てきます。私はそう思います。実際、この日本では在宅医療は進んでいます。国も推奨しています。家族がその気になれば、いろんなアイデア、知恵、サービスを惜しみなく与えてもらいます。そういう国です。私はこの日本に生まれて本当に幸せだなと思います。

 

希望を叶える為に人々は力を貸してくれるのです。

 

大事なのは希望を叶える宣言をする。という事です。そうしないと周りの人々は動けません。どうしていいかわからない。お任せするという価値観では、延命するしかないという事を知って下さい。

 

価値観はどんどん変化しています。情報にあふれ、何が正しいのか何が誤っているのか分からなくなる時がありますね。私だったら何を選択していくのだろうか?

選択の時代、そういう時期に突入しているのかもしれません。

会話が解決の糸口

母親が「迷惑をかけたくない」という発言の意図を読み取りました。うらを返せば、「迷惑でなかったら、畳の上で死にたい」という事です。まずは、元気な内から大事な人と最後の時はどんな希望なのかを、具体的に話合う事をお薦めします。私もそうしましたし、内容はいつでもかえられます。

 

リビングウィルという言葉がありますが、自分自身の最後の希望を文章にし、気持ちが変わればいつでも変更できるというサービス・考え方です。

 

日本尊厳死協会ではきちんとした手順を踏んで、信頼性の高いサービスに成長している様子です。今後もさらに信頼性を増して頂きたいと思っています。私は日本尊厳死協会の会員ではありませんが、陰ながら応援させて頂く姿勢です。

日本尊厳死協会ホームページ

 

私は母親と、そんなリビングウィル的な話をなんとなくしています。元気な内からそんな話するなんて縁起が悪いと思われる方もおられるでしょうが、しっかり話して損はないと思います。後になって、「ちゃんと話しておけばよかった」「きちんと希望をきいておけばよかった」という後悔だけはしたくないのでそうしています。

 

そして最後に、1つだけ大事な話をします。

 

私は一人っ子なのでいいのですが、兄弟がいたとします。もし、その兄弟との間で考え方の違いがあるとものすごくこじれるという事です。ですから、その考え方の違いも含めて、関わる人の一致した見解が必要になるのです。大事な人の希望を反映させるためにも、その考え方の違い、その溝は事前に埋めておく事をお薦めします。

まとめ

今回は「尊厳ある死」について、私が感じている事の一部を述べてみました。他にもまだまだ伝えたい事はありますので、追って投稿させて頂きます。

 

尊厳ある死は進んでいる様子です。延命を拒否する家族も増えている様子です。時代は進んでいます。

 

私が参加した、中高年向けの市民公開講座の「畳の上で死にたい人」が、普通に畳の上で旅立つ世の中になっているような気がしています。

 

マハトマ・ガンジーもこう言っています。

たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。」

最後まで読んで下さりありがとうございます。

-介護

© 2020 中原よしおのブログ