介護

親に言われて困る事「食べたくない」「帰りたい」「死にたい」

中高年の暮らしです。

 

今回は、いま介護を受けておられる方々の言動について。いくつか考えさせられる事がありましたのでシェアさせて頂きます。

 

親は入院中

施設にあずけている

自宅で介護している

 

もしくは

 

いずれ将来介護を受ける立場になる

 

そのような方々にどうしても知っていてほしい重要な事柄です。

 

介護を受ける立場になった方々を観察してみると様々です。幸せな人がいる一方で、人生を嘆いて悲観的な発言を繰り返す人もいます。

 

幸せに見える方は「いいですね」とうらやましい気持ちになります。

 

こんな年のとり方をしたいな~と素直に思えます。

 

一方

 

人生の最後を嘆きながら生活をしている。

 

想像するとどれだけの試練なのか‥なかなか手ごわい試練のように感じます。

 

 

現在、そのように悲観的な発言を繰り返す方々がどうしたら幸せになれるのか?真剣に自分の事として考える必要があるように感じています。

 

幸せに生きる方々、悲観的な発言を繰り返している方々。

 

私達はどのように生きていけばいいのか。いま現在介護を受けている方々が沢山のヒントを出してくれています。

幸せに生きている方々

幸せに生きている方々を観察してみるといくつかの共通点が見えてきます。

 

何か行動している。

 

編み物をしたり。折り紙を折ったり。

外を眺めたり。散歩をしたり。

 

手を動かして、足を動かして、景色を楽しんで。

なにかしら行動しています。

 

それが外から見た光景です。

 

そして話しをしてみると「はは~ん」となります。

 

楽観的なんです。

 

「死ぬときは死ぬさ~」といった具合に、死に対してまるで他人事のように捉えているように思えます。

 

延命治療なんて絶対に望まない。

 

意思表示を出来る方はたいていの場合そのような、それに似た発言をされている事も共通しています。

 

死に対して恐怖を感じていないようです。

 

静かに自分の出来る事を行なっています。

 

まとめてみると

 

「悟っている」

 

そのように私の目には映ります。

 

でもここから興味深いのですが、延命治療でない治療は受けたい‥

 

ん?となります。

 

さっき治療しないって言ったじゃないですか~と質問すると

 

それとこれとは別

 

との事。

 

難しい。そして深い。

 

悟りながらも人間的な部分もきちんと残されている。

 

だから食欲もあるし、男性や女性等、異性も好きだし、好きな事に取り組んでいるし。となるワケなのですね。

 

 

この深い思慮と願望をサポートするのが子の役割なのだと感じています。

 

ここで引っかかるのが、延命治療でない治療は受けたい。裏返せば、延命治療はしない。この判断が非常に難しいように感じます。ここはやはりお医者様に頼るトコロだと誰もが思うハズです。半分正解で半分不正解だと私は考えています。

 

もう旅立つよ。そのような時はサインが必ずあります。感覚でわかります。

 

死に立ち会った経験のある方はなんとなくわかるのではないかと私は考えています。

 

その時、お医者様は「もう旅立つ準備は出来ています」と発言されるのはまだ少ないような印象を受けます。

 

正確に言いますと、そのような発言があったとしても受け手側(親を見ている子供)が親の死を直視出来ない、急に判断できない。そして延命治療。いずれ寝たきりの状態へ。よくあるパターンだと私は考えています。

 

 

 

話がちょっとそれました。

 

幸せに生きている方々

 

それは死に対して楽観的だけど死にたいワケではない。

 

そのような状態ではないかと経験上感じております。

悲観的な発言が多い方

一方、悲観的な発言が多い方を観察してみます。

 

発言として多いのが

 

「死にたい」これが一番多いように感じます。

 

人生の最後が近い状態で「死にたい」という発言が出てしまう。

 

冷静に考えると、とても悲しい切ない気持ちになります。

 

「帰りたい」これはまだ救いがあります。実際家に帰る事が出来た方はみるみる元気になっていきます。体は元気にならなくても精神的には健全となります。不思議ですが。そうです。家で介護している方は大変ですが、それはまた別問題として取り上げさせて頂きます。

 

「食べたくない」これも多いように感じます。本当の意味で食べたくない方は準備が出来ている人です。空腹を感じない、食べようと思わない。そんな方です。ある種のスイッチが入った状態とも言えます。これとは逆に不満の現われとして「食べたくない」発言がある事との判別が必要でしょう。

 

「死にたい」に注目してみます。

 

一生懸命介護しているのに「死にたい」という発言がある。とても悲しくなります。

 

「死にたい」発言を深く考えていきたいと思います。

 

死の恐怖からくる言葉かもしれません。

自分の意見が尊重されなかった不満を言っているかもしれません。

自分を理解してくれる人がいないと嘆いているのかもしれません。

今までの人生を後悔しているのかもしれません。

 

どうしたらいいのか‥

 

これは私の考えですが述べさせて頂きます。それは、

 

「死にたい」理由を聞いてあげる事が一番大切だと感じています。

 

「死にたい」とかそんな事言ったらダメよ。とか、頭がおかしくなったのかと心配したり。とか、1ミリも否定や心配の心で接しる事は避けたほうがいいでしょう。

 

「死にたい」理由を聞いてあげる事が一番大事です。

 

「死にたい」と言ってくれているのですから‥誰にでも言っていないハズです。

 

理解してほしい。

 

「死にたい」気持ちを理解してほしい。

 

じっくり聞いてみると意外な解決策が見つかるものです。

 

一番多いのが気持ちを吐き出して「スッキリ」される方が多いように感じます。

 

解決出来る事があれば可能な範囲で取り組んでみて下さい。仮に解決できなくてもその取り組みをしてくれた事に安心される様子です。

まとめ

幸せに暮らしている方々はあくまで傾向ですから、自分の幸せ、自分の親の幸せは様々な形があって当然いいと考えます。一日ボーッと過ごして幸せな方もいるし、布団の中に一日居て幸せな方もいます。それぞれです。

 

 

今回、このような配信をしようと思ったキッカケを述べさせて頂きます。

 

実際に「死にたい」と言われたのです。「何で助けた?」「なんで自然に逝くかせないだ」。と

 

治療と延命治療との狭間で嘆いている方々が沢山いる事を知ってほしかった。

 

私はその嘆きを聞いてあげる事しかできませんでした。熱心に自分の事として聞く事しかできませんでした。しかし最後は「感謝している」と言ってくれました。たぶん話を聞いた事にだと思います。

 

今では悲観的な発言はないのですが、もし言われるようならまた「じっくりと話を聞く事でしょう」。私にはこれしか解決策を知りませんので。

 

読んで下さりありがとうございます。

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