この文章は中高年向けに書いております。
「私は性欲があります」と、
はっきり正直に言える人は私は正常だと思っています。
はずかしい、はしたないと思われた方は、それはそれで正解です。
日本には奥ゆかしさという文化がありますから、そういう部分を隠すのも悪い事ではありません。
日本の文化を大事にしながらも、世界がどういう方向へ向かっているかキャッチしながら、心の中では性欲は大事。
そう思って頂く方が一人でもいたらと考えています。
もちろん、オープンにしても問題ないと私は思っています。
奥ゆかしさを持ちながらも少しオープンな部分もあるとセクシーですよね。
このへんの表現も理解できる所に日本人の素晴らしさがあります。
わびさびといいますか、どんな場面でもわびさびを意識して生活する事でセクシーさも内面からにじみ出てくるよな気がします。
私は性欲が無い。そういう方はそういう方で一定数いて当然です。しかし、性欲に対してなんらかの良くないイメージをもってしまい、性欲が減退ぎみになっている方はどうぞ読み進めてみて下さい。きっと楽になると私は信じています。
パートナーがいる方
パートナーがいる方で、性欲が減退している方は必見です。
いろいろな原因はあるのですが、1つの原因はセクシーな人だと思われます。
テレビや雑誌等。
テレビや雑誌にはとても美しくセクシーな女優や男優、アイドル、男性ではAV女優、女性は二次元の美少年。
とても悩ましくて刺激されます。そして、隣を見ると、ついくらべてしまいます。
「私はくらべませんよ」そんなひどいこと考えた事もありません。
そうです、そういう方を私も対象としていますので、そんなセリフが帰ってきて当然です。
私が伝えさせて頂きたいのは、無意識でくらべてしまう可能性があるという事です。
セクシーな人々は現代の人々が望んだ外見であります。
本能的に刺激される部分とその時代の文化や流行りも含まれているので、素敵だなと思うのは当然です。
そこから深く考えてみると、無意識でくらべている部分は外見に偏っているような気がします。
そこには「愛」が欠けています。
大袈裟かもしれませんが、外見から感じる「素敵」を、本物の愛と錯覚していませんか?
自分のパートナーは愛する人です。愛すれば自然とふれあいたくなります。愛は交信できます。愛すれば自然と湧き上がってきます。
パートナーの外見に惹かれている場合は本来の性欲からかけ離れているような感覚を覚えるのは私だけではないと信じていますよ。
心のそこから愛すれば目の前のパートナーの外見は他と比べ物にならないすばらしい外見になるのですから、不思議です。
パートナーがいない方
パートナーがいない方も恵まれた時代となりました。
今は出会いの場が多く提供されています。
出会いが提供されているサイトと聞くとどういう感想をもちますか?
人に知られたくない。
中高年の方にとってはそう思うのが普通の感覚です。
ネットを頻繁に利用されている方はお気づきと思いますが、現在は変化しています。
インターネットで出会うのは普通になってきています。
クリーンなイメージのサイトも増えていますし、大手企業様も提供しています。
愛を基準にお相手を探せばそうい方を、そうでない方はそういう方と出会うようになっていると思います。
かしこく利用して下さいね。
熱くなれ
大黒摩季さんの「熱くなれ」
私はこの作品の中の
「これこそはと信じられる何かを探していたけれど、正義が社会を救えないなら愛しかないでしょう」
このフレーズが大好きです。
性欲の開放
「パワーかフォースか」という書籍。著者はデヴィッド・R・ホーキンズ博士 (1927〰 2012)。
「正常な性的欲求の噴き出し口をブロックすれば、異常な性的欲求の噴き出し口を作ってしまうだけです」
と書かれている部分があります。この本は現在、定価より高値で取引されている様子です。
風俗の合法化について書かれている部分なのですが、性欲の方向性や価値観が世界でも動き出している感覚がします。
まとめ
世の中を見てみると、性に関する価値観が変わってきている印象を受けます。
開放的な方向へ進んでいるような感覚です。
人の価値観はそれぞれですので、おおいに人生を楽しんでもらいたいと思います。
今回は本来の性欲とは何かを私なりに考えてみました。
本能に引っ張られすぎず、あまり聖人にもなりすぎず、健康である証と開き直りながらも、
「愛」を基準に世の中を楽しみたいと考えております。
今回も最後まで読んで頂きありがとうございました。
皆様の幸せを心よりお祈りしております。