生き方

なぜ?ブッダは苦行を止めたのか?お釈迦様の目的は命をかけた覚悟の検証!

修行という言葉を聞いてピンとくる方?

 

これを読んで下さっているとてもありがたいアナタの事です

 

修行の仕方も様々あります。どんな行為も修行とみなせば成立

 

実際修行をしていない方でも修行という言葉には、何か特別な意味が込められていると感じる方も多いようです

 

現在よりも自己を向上させる特別な行為という感覚

 

修行は人生の必要な行為の1つのようにも思います。

 

今回は、修行を積んでさとりを開いたお釈迦様にフォーカスしてみました

 

お釈迦様は修行のワンランク上「苦行」を6年間も続けています

 

お釈迦様は私達に様々な教えを示して下さいました

 

ブッダの一人、お釈迦様は世界一有名な人と言っても過言ではありません

 

世界的に注目されている仏教・禅の世界を世に残した「偉大な人物」

 

ブッダとは悟りを開いた人でお釈迦様はその一人という説明が一般的です。では...

 

お釈迦様はどのようにしてあの有名な教えをつくったか?

 

菩提樹(ぼだいじゅ)の下での四十九日間、静かに考えてまとめました

※菩提樹:インド原産の木

 

苦行のすえに...ではない様子です

 

「苦行は、あまり意味がなかった」と止めてしまったんです

 

「このまま苦行を続けたら死んでしまう」と...

 

命をかけてのぞんだ苦行から得た答えは苦行をやめる

 

そこにはどんな目的があったのでしょうか?

苦行の種類

お釈迦様は様々な苦行を行なっています。

 

断食。息を止める。難しい姿勢をずっ~と保つ。暑い日に火を焚いて熱さに耐える。寒い日に裸になって寒さに耐える。痛みに耐える。等々

 

これでもか、これでもかと取り組んでいたようです

 

お釈迦様の時代は悟りを開くのは、苦行が一般的だったようで...

 

それなら私も挑戦してみよう!というわけです

 

チャレンジ精神の塊。そのお釈迦様ですが「とことんやり抜く」と気合たっぷりだったのです

 

命を懸けてのぞんでいたのです

 

その源となるのが「人が幸せに生きるには」どうしたらいいのか

 

圧倒的な他者に対する貢献の精神

 

自分自身の欲(煩悩)のかけらもなかった精神状態であったようです

 

他者貢献!覚悟!圧倒的パワーを発揮!命をかけて望む!望む!死をかけて望む!こんな感じでしょうか? そして、

 

「このままでは命をおとしてしまう」私は苦行ではさとりを開けなかった...という流れ

 

これは、いままでの苦行を否定したかったブッダの意図があると私は考えています

 

実行しないまま「それは真理ではありませんよ」とは言えない

 

筋(すじ)を通す。帳尻りを合わせる。そんな形をとったようです

 

とてつもない根性をもって根性論を否定したわけです

 

お釈迦様というイメージからは程遠い屈強なマインドの持ち主だったとうかがえます。

とにかく、ひたすら瞑想

苦行ではさとりを開けないとわかったお釈迦様はひたすら考えます

 

「人が幸せに生きるには」どうしたらいいのか?ひたすら、

 

瞑想。坐禅。をしていたと伝えられています

 

超集中状態で「宇宙意識」とつながっていた様子

 

四十九日間考えた末「わかった!」となったようです

 

最初、「これは誰も信じてくれない」と教えるのをためらった様子。しかし気持ちを改め「わかってくれる人にだけ教えよう」となりました。

人生は苦しみ

お釈迦様はブッタとなります。そして、教えをとかれるのですが、衝撃的な事を言われます

 

「人生は苦しみである」

 

なんか凄くショックです。苦しむために生まれてきたとは思いたくありません。そうアナタも思うでしょう...

もっと楽しみたい。

もっと美味しいもの食べたい。

もっといろんな所へ旅行に行きたい。

いろんな人と交流をしたい。

できれば異性にモテたい。

 

もっと、もっと、‥それが苦しみの原因なんですよ~。と言っているのです

 

欲をすてる事ができれば楽になりますよ~と言っています。

そうはいっても‥

そうはいっても欲は満たしたいです

 

自分の欲を満たせば満足します

 

一時的には...

 

そしてまた自分の欲を満たします。満足します。一時的には...

 

本当にブッダが言っている通り

 

苦しみを無くす為に欲を満たしても、また次の欲が出てきます

 

きりがない事に気付く...

 

それに気づきなさいとブッタが言っているようです

 

完全に欲を捨て去る事は出来なくても、ある程度の上限は設定する必要を感じはじめます

 

これくらい、この程度でいいかな~。と

 

欲は際限なく大きく膨らんでいくものだ。そう、欲の正体を見破ると、

 

欲に、必要以上に振り回される事も少なくなっていきます。そして、

 

それは煩悩であったといずれ気づいていくでしょう。さらに煩悩のその先に人間の本当の欲が隠れている事に気づき始めます。

隠された本物の欲

本物の欲とは何なのか考えてみます

 

やはり「幸せになる」ことだと思います

 

愛犬と散歩しながら考えてみました

 

散歩に行くとき、おもいっきりシッポを振って喜ぶ

 

とても楽しそうにグングン進む

 

それを見ていると幸せな気分になりました

 

家に帰ると愛猫がゴロンとお腹を見せてお出迎え

 

ゴロゴロといってナデナデを要求します

 

これか~と思いました...

 

ペットとの関わりで感じた事で恐縮ですが、他者の幸せに関わる、幸せを提供する事が気持ちが良い

 

「これが本当の幸せかもしれんね」...つい、独り言をいってしまいます

 

自分の欲を満たす事は幻想かもしれないと思えました。しかし、今後も自分の欲には振り回される事だと思います。その時は「本当の幸せ」ってなんだろう?と立ち止まって、思い出したり、考えたり、そういう時間が必要だな~と感じております

 

苦行の先には苦しみしかないとブッダは言いたかったのでしょうか?

 

苦行は意味ないよ、だって幸せってもうあるでしょう?と言いたかったのでしょうか?

 

真意はわかりませんが、苦行を否定し、苦行から得られるものは無いと身体を使って証明。その後「宇宙意識」と繋がり、さとりをひらいた経緯は、私達に生きるヒントを与えているように思えてなりません

 

ブッダはこう言っています

もし清らかな心で生きている人がいたとしたら、幸福はその人の後にかならずついていく事でしょう。

 読んで下さりありがとうございます

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